料理僧が心から美味しいと思えるナチュラルフード トーク連載スタート!
「亀田製菓クラブ」会員様限定コンテンツ
「料理僧が探るナチュラルフードとは」「元タカラジェンヌ・越乃リュウが聞く食と芸の美味しい関係」連載スタート
“暗闇ごはん”主宰など精進料理に関連する企画で国内外で活躍している
浅草・緑泉寺 住職 青江覚峰と
新潟県出身の元宝塚歌劇団月組組長 越乃リュウが、食や芸能の分野で活躍する方のお話をお聞きするオリジナル記事がスタート。
第1回は、青江住職と越乃元組長のストレートトークです!
米どころ新潟自慢は?
ユッケは明日の自分に変わる
越乃さんの美しさの秘訣
宝塚時代、組長として大事にしたこと
退団後・・・自由と責任の狭間で、自分を律する
デビュー30周年を前に思うこと
など ぜひ、ご覧ください。
■米どころ新潟はやっぱり「水」!「贅沢が当たり前」の豊かな故郷
青江)越乃さんは新潟出身ですが、新潟は日本酒もお米も美味しいですね。やはり「水」がいいからでしょうか?
越乃)そうなんです。とにかく、お水が綺麗で美味しいですよね。新潟を出て他の街に行ったとき、初めて水道水の臭いに気づきました。あれ? こんな臭い、新潟では感じたことなかったなって。それで、新潟はお水が綺麗なんだって改めてわかったんです。街の真ん中には大きな川が流れていて、水が豊かだなと感じます。食べものの基本はやはり「水」だと思いますので、新潟は何を食べても本当に美味しいんですよ。
青江)日本料理は「水」の料理と言います。新潟は枝豆の生産量が日本一で、どこに行っても枝豆がドンと山盛りになって出てくるそうですが、枝豆を茹でるのにも結構水を使います。塩を入れて、美味しい水をたっぷり使って枝豆を茹でるって、とても贅沢なことだと思います。昔から新潟は、水がいいから美味しい米やいい農作物が沢山獲れて、どの食べものもとても美味しい。今の時代、本当に贅沢なことだと思いますが、新潟では、その贅沢が当たり前なんですよね。本当に豊かなところだと思います。
越乃)故郷の豊かさは、違う土地で生活するまでわかりませんでした。宝塚を辞めてから、全国各地でお仕事をさせていただくようになって、新潟を客観的に見る機会が増えるとなおさら自分が生まれ育った場所に安心を覚えるし、故郷があるっていいな、と再認識することができましたね。
青江)美味しいものには事欠かない新潟ですが、越乃さんのオススメは?
越乃)私の実家が新潟市内で飲食店をやっていて、「鶏の半身揚げ」が名物なんです。名前の通り、鶏の半身を大胆に唐揚げにした料理ですが、これがまた美味しくって、ペロリといけちゃう(笑)。今では新潟のご当地グルメとして知られるようになりました。他にはイカの一夜干しとか。身が厚くてぷりっぷりで、お酒のあてやご飯のお供、どちらにもよく合います。
■目の前の食べものは明日の自分に変わる
青江)好きな食べ物は何ですか?
越乃)お肉です(笑)。現役時代は「今日は焼き肉行こう!」という感じでお気に入りのお店に通っていました。特にユッケは大好物。生のお肉って、自分の血や肉になりやすいんじゃないかという思い込んでいて(笑)。お肉を食べたら元気になると思っていましたね。
青江)元気になると思いますよ(笑)。ところで、越乃さんは食事の前に何とおっしゃいますか?
越乃)「いただきます」ですね。
青江)「いただきます」って、いつ頃から食前の言葉として使われているかご存じですか?実は戦後、昭和26年度に全国で学校給食が始まってからなんです。それから食前食後に「いただきます」と「ごちそうさま」を言う文化が全国に広まりました。それまでは家長制度の中で、家長であるおじいさんやお父さんが食べ終わったら、どうぞと促して他の人が食事を食べ始まる、そんな感じだったのです。また、それ以前は四分律行事鈔というお経を食前に詠んでいました。そのお経の4行目に、「正に食べものは自分の身体を作っていくものなのだ」、という意味の言葉が書かれているのです。
ユッケの話に戻りますが、ユッケと自分は別の存在ですよね。でもユッケを食べると口の中で咀嚼して食道を通り、胃で消化して腸で12時間後ぐらいには吸収される。すると次の日にはユッケという存在はなくなってしまって、自分の身体の一部になるわけです。文字通り、自分の血となり肉となる。だから、目の前にある食べものは、明日の自分なんだと思いながら食べましょう、「正に良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり」と仏教「五観の偈」書いてあります。食べものは薬なんです。食べないと飢えて苦しくなったり、体調が悪くなる。食べものはそれを和らげるための薬です、と書いてあるのです。
越乃)食べものが自分の血となり肉となる。本当に、一回一回の食事を大切にいただかなければいけませんよね。
■美しさの秘訣は、「美味しく食べる」「ストレスをためない」
青江)さて、越乃さんの「美の秘訣」を教えて下さい。どうやったら越乃さんのようにすらりとしたスタイルを保つことができるのですか? 私は40歳を過ぎてから、どんなに食べものに気を使っても、運動をしても全然痩せなくなってきたんです。
越乃)わかります!若いときは少し食べないでいれば、すぐムダな肉が落ちていたのに、なかなか落ちなくなりました。でも、私自身はそれほど気をつけているわけでもなく、大盛りのご飯を食べています(笑)。私、ご飯は栄養だと思っていて、ご飯で太るという感覚がないんです。気をつけていることと言えば、昼間は普通に食べて、夜、炭水化物を抜くなどして調整したり、時々自分にスイッチを入れて、16時間プチ断食をやったりするぐらい。プチ断食をやると自分の身体や思考が整うような気がするんですよね。でも、食べたい、と思ったときはしっかり食べます。「これを食べたら太るかも」と思うのがよくなくて、「美味しいな」と思いながら食べると脳にとって栄養だと思う、って聞いたことがあります。だから、食事をするときは、美味しいなと思いながらちゃんと食べたいんです。
青江)世の中にはダイエットのためなどといって、「つらいもの」として食事を取る人が増えているのですが、越乃さんは楽しく、美味しく食事をしていらっしゃるんですね。
越乃)自分の身体の声を聞くようにしています。自分に甘いのかもしれませんが、お腹が空いていると感じたら食べますし、寝る数時間前には食べない、とも決めていません。仕事のときはどうしても夜の10時ぐらいにご飯を食べることもあるじゃないですか。そういうときは少しだけお腹の中に入れたり、満腹感を感じやすい汁物をいただくとか。夜寝る前に絶対食べないと決めてしまって、我慢が切れたときの反動がストレスとなって失敗した経験があるので、そこは、自分をうまくごまかしながらコントロールしています。カロリー計算よりも、いかにストレスを溜めずに毎日を過ごすかに重点を置いている感じですね。
青江)越乃さんは、食べることを楽しみ、人とのコミュニケーションを全身で楽しんでいらっしゃることが伝わってきます。ストレスフリーで楽しく毎日を過ごしていらっしゃることが、美しさを保ち続けているのですね。こうやって話をしていても、「美味しい!」っておっしゃるときの顔が、とってもチャーミングです。
■宝塚時代、組長としての「リーダー像」とは?
青江)宝塚時代、月組の組長でいらした越乃さんですが、組子さんの食生活に気を配ったりされましたか? また、ご自身はどのようなリーダー像を描かれていたのでしょうか?
越乃)組子は80~90人もいるので、さすがに一人ひとりの食事の管理まではできないです。でも、若い下級生の中には、自分の身体のラインが良くない、もっと痩せたいと悩む子が必ずいます。舞台人である私たちの身体、そして体型は商品ですから、プロとして注意を受けることはあります。そこで、頑張ることができる子と、病んでしまう子がいるんです。
「私、痩せられないんです」と悩みを打ち明けてくれる子はいい。人に悩みを言うことができれば、後は背中を押してあげると乗り越えることができますから。でも、「私なんかダメかも…」とネガティブに捉えてしまう子には同じやり方で接してはいけない。本当に切なくなってお稽古場にも来づらくなっているんです。そういう子たちに対しては、全面的にサポートするとかえって自分の力で立てなくなるので、一人のときに、「こんなの食べてみるといいよ」と声をかけるようにしていました。若い子たちのハートはガラス細工のように繊細だから、人前で話しかけると余計に傷つきますからね。
私自身はもともとネアカな性質なので、組長になった当初はそういった組子の気持がわかってあげられなかった。でも、経験を積むうちに少しずつわかるようになりました。
青江)どのようなリーダー、組長を目指されていたのですか?
越乃)宝塚歌劇団には花・月・雪・星・宙と5つの組があって、それぞれに組長がいます。特定の組に所属しない専科以外の団員はどこかの組に所属しますから、歌劇団に入団した新人のころからずっと組長という存在を見ることになります。月組にいた私は、歴代の組長さんを見て育ちましたのでそのやり方を踏襲し、自主性を尊重するというか、みんなが自由に動いてもらう中で組長の役割を果たせばいいと思っていましたね。私が組長になったときは少し異例で、まだ上級生の方もいらっしゃったのです。そういうこともあってか、周りの人たちが「リュウさん、大丈夫?」って手を差し伸べてくれました。そのとき、あ、私って一人じゃないんだ、助けてもらってもいいんだと。一人で頑張るより助けていただいたほうが事がスムーズに運ぶことを知りましたね。
青江)「一人じゃない、頼ってもいい。頼ったほうがうまくいく」ことに気づけない人が、世の中にはとても多いと思います。中間管理職をはじめ多くのサラリーマンの人たちが苦労しているところを、さらっとできてしまう越乃さんは素敵です。宝塚はそういったいい組織だからこの先もしっかり廻っていくだろうし、これからもずっと愛され続けるのだろうなと思います。
■退団後・・・自由と責任の狭間で、自分を律する
青江)2013年に宝塚を退団、フリーになられたわけですが、生活は変わりましたか?
越乃)変わりましたね。時間の流れる速さが全く違うんです。宝塚にいるときは、次の作品はこれです、衣装はこれを着てください、台詞はこれを覚えてくださいと、全てお膳立てしてもらえますから、舞台のことだけを考えていればよかった。でも、宝塚を辞めたらお仕事はひとつじゃないし、いろいろなことをやらないといけません。自分で何かを生み出すためにお稽古や勉強の為の時間を自ら作って、全て自分でやっていかないといけない。そこが全く違いますね。
現役のときから宝塚歌劇団という大きい看板を背負っている意識はありましたが、宝塚を辞めてから更に宝塚を意識するようになりました。自分で自由にいろんなものを選択できる今の状況は、それまで先輩方が築き上げてきてくださった歴史があるからだと思っていて、とても感謝していますし、宝塚卒業生として、宝塚をより一層大切にしたいと思ってます。
青江)お話を聞いて、お坊さんの世界と似ていると思いました。お坊さんも修行時代は、やることが全て決まっています。朝4時に起きて掃除をして…。確かに修行は大変です。でも、みんなで一緒に暮らしている中での修行なので、大変だけれども同じ流れに乗っていけばいい。でも修行から卒業してお寺に入ると、誰も見ていないところで朝一人でお経を上げることから始まります。すると、自分はどこまでやればいいのか、どこまで他のことをやるのか、いわゆるセルフプロデュースを考えなければならない。自由であると同時にすごく厳しい。恐らくそういうところが似ているのではないでしょうか。
越乃)そうですね。宝塚を卒業してから一層、自由をはき違えてはいけないな、と強く思うようになりました。自分の責任で、自らの意思で歩いて決めて、断る。そういうことも自分でやっていかなければいけない。責任といいますか、自分の軸をしっかり持たないと。自分を活かすも殺すも自分次第…、そんな気がしています。
青江)宝塚をお辞めになった後も、自らを律してぶれずに生きていらっしゃるようにお見受けしますが?
越乃)辞めてから知ったことが山のようにあってすごく新鮮でした。世の中のことを本当に知らなかったから、ある程度年齢もいっているにも関わらず、教えてくださいとお願いするしかなかったですね。そうすると、周りにいてくださる多くの方がいろいろ教えてくださいまして、ありがたかったですね。失敗を重ねて気づいて学んだこと、そういったものが今の自分の糧となっていると思います。もっとも宝塚時代に培ったものがあるから、そのように考えられるのかもしれないですね。
■芸能生活30周年を前に思うこと
青江)来年、芸能生活30周年だそうですね?
越乃)ありがとうございます。私ね、自分の人生を振り返って見ると不思議だなって思っていて。というのも、実は私、宝塚に入りたくない人だったんです。学生の頃バレエをやっていたのですが、背が高くなったからバレエの先生に宝塚に行くことを勧められて、それで宝塚を観に行きました。そしたら、舞台でお芝居をしているじゃないですか。今はこんな風に人前でおしゃべりをさせていただいていますが、その頃の私は人前でしゃべるのが苦手で、恥ずかしくて嫌だった。だから宝塚を受験することを断ったのですが、結局宝塚に入ることになりました。でも、そんな私が組長になり、人の前に立たなければいけなくなりました。お芝居が嫌いで、人の後ろに隠れて生きているほうが楽だと思って生きてきたのに。私の人生って、「ノー」や「イヤだ」とか、そういうところから始まっているんです。
宝塚を辞めてからも、講演のお仕事を断ったり。お受けしても、全くしゃべれなくて10分で終わったこともありました。でも、そうした失敗を重ねるうちに、失敗をネタにしゃべることができるようになってきたんです。
また、先輩が立ち上げた宝塚の受験スクールをお手伝いするお話をいただいたときには、受験前、宝塚に全く興味のなかった私がそんなサポートをしていいものだろうかと悩みました。でも21年間宝塚に在籍した私だからこそわかること、お役に立つこともあるだろうと思って、お話をお受けしたのです。自分が背を向けていたところに向き合わなければいけない状況になって、でも、それが少しずつ楽しいなと思えるようになってきた。そうした楽しさや喜びを、自分の中で少しずつ育てていきたいんですよね。
青江)30周年コンサートは、いつ頃行われる予定ですか?
越乃)来年の春あたりを目指しています。25周年のときは東京でやったのですが、私自身、新潟という故郷があるから今の私があるという思いがすごく強いので、新潟で開催したいです。
30周年の前に、この10月に新潟でランチショーを開催しました。
青江)新潟をこよなく愛する気持、越乃さんからビンビンに伝わってきました。来年の30周年記念コンサート、今から楽しみですね。
越乃リュウさん、そのスタイルと美しさを保って、いつまでも輝いてください。今日はありがとうございました。
第2回(10月下旬配信予定)は、越乃さんと元雪組トップスター水夏希さんとのストレートトークです。お楽しみに。
ロケ地 東京・浅草 緑泉寺
モデレーター:緑泉寺住職 青江覚峰 プロフィール
1977年東京生まれ。浄土真宗東本願寺派湯島山緑泉寺住職。米国カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。「暗闇ご飯」主宰。超宗派の僧侶によるウェブサイト「彼岸寺」創設メンバー。著書に『お寺ごはん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『ほとけごはん』(中公新書ラクレ)、『お寺のおいしい精進ごはん』(宝島社)など。海外での精進料理公演などの実績も多く、国内外でテレビラジオ、Webなどで引っ張りだこ。日本の精進料理界の若手僧侶として、知名度No.1。
今回のゲスト:越乃リュウ プロフィール
第79 期⽣として宝塚歌劇団に⼊団。宝塚史上最年少で⽉組組⻑に就任。2013年宝塚歌劇団退団。退団後は、京都・上賀茂神社式年遷宮⼀周年奉納イベント「百花繚乱」をプロデュース、舞台「エリザベート TAKARAZUKA スペシャル・ガラ・コンサート」出演。写真展「SPIELERー表現者―」を東京、京都、新潟の三都 市で開催。⽇本テレビ「news every.」の「every.特集」にナレーターとして出演中。婦人公論.jpで「元組長の部屋」連載中。等ソロコンサート、ディナーショー をはじめ、ナレーター、 フォトグラファーなど、表現者として活動。2016 年より新潟市⻄区の PR ⼤使ーかがやき⼤ 使ーに就任。ふるさと新潟のいいところ、いいものを発信するべく 新潟の企業とコラボレーション商品を企画プロデュー スしている。
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